Ancestors(先祖探し)

トップの写真左:ジョン・万次郎とホイットフィールド船長・右:カート母方のアマテイ・ウエストの娘、アマテイ・ブレイトンの墓。1912年没。アマテイ・ウエストはカートにとって高祖母で、彼女の娘のアマテイ・ブレイトンは曾祖母となります。108年前に没しています。

余談ですが、我が家にはカートのお婆ちゃんが使っていたベッドカバーが有り、それを来客用として使っていたのですが、とうとう先日破れました。100年位は使っていた模様で、繰り返し洗濯する事で布がボロボロになってちょっとした刺激で破け易くなっていました。小さな破れ目は私が当て布をして修復していましたが、最早それでは対応出来ない程の破れと布の痛みが激しくてとうとう廃棄処分となりました。

相方カートが書いた原文(英語)を私(綾子)が訳しました。原文は下に載せてあります。

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温故知新と云う言葉がある。これは孔子の言葉をまとめた「論語」を出典とするもので、昔の事を尋ね求めて、そこから新しい知識や見解を導くことで、英語でこの意味に当て嵌まるものは

Discover new truths by studying the past through scrutiny of the old

とでもいうのだろう。

悲しいかな過去100年程、現代のアメリカ人は自分達の先祖への関心をどんどん失いつつあります。 

嘗てはメイフラワー号で新天地アメリカへ来た子孫である事を誇りに思っていた人達は家族の系図を辿ると云う途方もない労力と忍耐の要る仕事を黙々とやり、それを達成した時の自信と喜びは喩えようも無いもので家族の誇りとなり一族郎党末代まで残る偉業として讃えられて来ました。

しかし忙しい現代社会の生活に於いて本業の傍ら途方もない時間と労力の要る調査を何の見返りも無く自分と自分の家族の為とは言え、何年も掛かって忍耐も経済的な負担も惜しまずやり続ける事に意味を見出す事が出来なくなって来たのです。

ところが、1990年代初頭のインターネットの普及により先祖探しは格段の進化を遂げました。

教会の古い出生記録や婚姻記録を自らの足で辿り調べる事は多くのウエッブサイトの出現で簡単に見つける事が出来る様になりました。

皆さんは

ancestry.com
findmypast.com
myheritage.com
genealogybank.com

などのサイト名を一度くらいは耳にした事がお有りでしょう。

こうしたウエッブサイトの出現により先祖探しはとても身近で簡単なものとなりました。

1990年に2人のアメリカ人青年が ancestry.com と云う会社を立ち上げました。 

これには国勢調査記録、墓地記録、地方および州の公的記録、軍事記録、出生、死亡、結婚を発表する新聞記事などが含まれており、2016年までに ancestry.com  には300億以上の様々な記録がデジタル化されており、このサイトを利用して家系図を調べる会員は300万人以上となりました。

他に newspapers.com と云うサイトでは世界中の12,000 以上の新聞から約6億に上る記録を有し、これには先祖のDNAも含まれています。

私の母方の先祖は1620年にメイフラワー号の2回目の船で英国からマサチューセッツ州に移住したジョージ・ソウルと云う名の男性で召使として入植しています。 

アマテイ・ウエストのお墓は既に
150年程経っていて
大理石の墓石に刻まれた年月日は
1872年2月没です。

この男性の3代目の子孫がアマテイ・ウェストと云う名前の女性で、その後の調査で彼女の父親はロード・アイランド州の副州知事を務めたウイリアム・ウエストであり、アメリカ独立戦争で英国と戦った将軍だったと云う事実が判明し、実際に私は同州に在る彼の墓を訪れる事が出来ました。

父方の先祖探しを始めた頃 ancestry.com のメンバーに父方の先祖であるドイツ系の名前ルイス・ナイトハートなる人物についてご存知の方は連絡乞うと云う公開質問を出した結果、上手く連絡が取れフランスのアルザス地方に私から遡る事6代離れた従兄弟が住んでいる事が判明しました。

早速連絡を取り、私達は最初Eメールで連絡を取り合っていましたが、遂にコンピューターのスカイプで出会いお互い自己紹介をしました。

この従兄弟の名前はアラン、妻はモニークと云う名前で二人とも退職した麻酔科の医師で偶然な事に夫の方は系図を調べるのを趣味としており退職後の時間は専ら系図探しに充当され何度も ancestry.com へアクセスした経緯が有ります。 

その後何度か連絡を取り合い私と妻がフランスのブザンソンに在る彼等の家を訪問し家族全員の紹介を受けました。彼等には2人の息子が居ますが、息子2人は共に日本人の女性と結婚しており、私自身の妻も日本人で日本女性を好きになるDNAが家族に組み込まれているのかと思う様な何か不思議な繋がりを感じました。

そして次は彼等がサウス・キャロライナに住む私達をフランスから訪ねて来てくれましたので2週間の滞在中にチャールストンや色々な所を案内する事が出来良い思い出となりました。 

我が家には父方の先祖の写真をダイニングルームに飾っていますが、その先祖の耳はアランの耳と全く同じ形をしており顔の輪郭もコピーしたかの様な同一の形をしておりDNAは確かに受け継がれていると感じました。

更に数年後には彼等の別荘が在るフランスのアルザス地方へ招待され私達は再び彼等と会う機会に恵まれました。

その後アランは私達の系図を1303年まで遡り、更なる先祖の追跡調査をやりました。

アメリカ人の先祖はヨーロッパからの移民が殆どですが、米国への日本人の移民から始まる日本人の家系図が最近増えていおり、findagrave.com のサイトでは多くの日本の墓の所在地やそこに埋葬されている人を見つける事が出来ます。

現在私が執筆中の小説の件で歴史考証として東京都立谷中霊園に江戸幕府15代将軍徳川慶喜の墓を訪ね、墓参りをする経験が出来ました。

あなたは歴史がお好きですか?ペリー提督の墓やウイットフィールド船長の墓を訪れたいた思ったことはお有りですか? 捕鯨船のウイットフィールド船長と云うのは嵐の海で難破したジョン・万次郎を救助しアメリカへ連れ帰り、十分な教育を受けさせ、彼を青年になるまで自宅で育て日本へ戻した人物です。

The Manjiro Story のサイトでは土佐清水市とマサチューセッツ州フェアフェイブン市に於いて1年置きに催される万次郎祭りに関する情報が開示されており、現在執筆中の私の小説にジョン・万次郎が登場する場面があり、その時代考証として現在福岡市在住の医師で万次郎の玄孫となる方とお会いし、今では家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いています。

結論として私の家系図を調べると云う経験は非常に意義の有ることで、これにより満足の行く結果をもたらし、家族について更に多くの事を学びました。中でも重要な事は私にとって今まで会った事もなかった地球の反対側に居た人達が今では私の日々の暮らしを豊かにし、親しい友人関係になり、そして親戚が増えたと云う事です。

インターネットサイトの出現で先祖探しは格段の進化を遂げ、全くの素人でも検索が簡単に行えます。あなたもご自分の先祖探しにチャレンジしてみては如何でしょう。

カーテス・パイパー
Curtis  Piper

Do you know the names of your ancestors who lived during the reign of Emperor Goyōzei over 400 years ago?  Were any of them famous? Some Buddhist temples have records dating back more than 1,000 years. Have you researched any of them?

Americans used to keep records of births, baptisms, marriages, and deaths in a special section of their family bibles. Many churches still maintain more extensive records of families. But none go back as far as those found in Buddhist temples.

In the past, famous American ancestors were of great interest to their descendants. Those whose ancestors were early colonizers in the United States, especially those who came from England in the 1600’s, were a source of great pride. Ancestors who fought the British during the Revolutionary War were particularly honored. The Daughters and Sons of the American Revolution are two organizations that are still active, but interest in tracing one’s family tree has waned over the past decades.

However, due to the commercialization of the Internet in the early 1990s, learning about a person’s ancestors became much easier than searching through dusty family records.  Two Mormon university graduates started a company in 1990 that became ancestry.com in 1996. One of the ordinances of the Mormon religion is the baptism of the dead by proxy. Therefore, having information about a church member’s ancestors who lived before the Church of the Latter-Day Saints was founded is important.

The Ancestry website and several others, including genealogybank.comfindmypast.com, and myheritage.com, accumulate all types of historical records. They include census records, cemetery records, local and state public records, military records, and digitized newspaper sections announcing births, deaths, and marriages. By 2016, ancestry.com had digitized over 30 billion records and had more than 3 million paying members who use the site to expand their family trees. Members often find living relatives, albeit distant ones, they did not know existed.

The site expanded when it bought findagrave.com. People upload photos of gravestones and mausoleums, and the locations, names, and dates are put into a huge database. Ancestry also owns newspapers.com which has almost 600 million records from more than 12,000 worldwide newspapers. Ancestry also owns AncestryDNA.

When I was growing up, I heard that my maternal grandfather’s side of the family boasted of a governor from the state of Rhode Island who fought in the Revolutionary War.  My paternal side of the family was another matter.  My father did not know anything about his ancestors. 

About ten years ago, I decided to investigate. I had  two names. The first was Amity West, my great, great, great grandmother, and a family “myth” that her father was the governor of Rhode Island.  Through the Internet, I checked the names of all the state’s governors, but I could not find the name West.  Then, one day, I typed in “Rhode Island Deputy Governors”, and I found him!  His name was William West.  During the Revolutionary War, he became a low-level general whose claim to fame was that he led a retreat from a big English army! 

I discovered something even more interesting when I found a copy of the West Family History.  I learned that William West was a descendant of a man named George Soule who immigrated to Massachusetts on the Mayflower in 1620. He was an indentured servant to one of the other passengers. Indentured servants signed contracts to work for an employer for free for a certain period.  They were fed, boarded, and clothed. They were, in effect, temporary slaves. Seven-year indentures were the norm at that time.

The other name was Louis Neidhardt from my father’s family.  About the time I was researching the West name, I received an email from a member of ancestry.com who asked me if I was related to Louis Neidhardt.  The member turned out to be my sixth cousin. He had traced his family tree back to German-speaking Alsace, France, and he introduced me to a more distant cousin and his wife.  Alain and Monique are retired anesthesiologists. I and my wife Ayako, who often contributes to this website, have visited our cousins in France, and they have visited us.  Interestingly, both their sons have Japanese wives too. (It must be in the Neidhardt genes.)  After he retired, my cousin Alain pursued his interest in genealogy and has traced my family tree to 1303. 

The big websites are Euro-centric, but many Japanese family trees have expanded, especially the ones starting with Japanese immigrants to the United States.  Furthermore, one can find the location of many Japanese graves on findagrave.com. During my research for a novel I am writing, I visited Tokugawa Yoshinobu’s grave at the Yanaka Cemetery near Ueno. You might also check out 谷中霊園 (Yanaka Reien) which has a list of noteworthy Japanese.

If you are interested in history, you may wish to visit Commodore Perry’s  grave or Captain Whitfield’s grave. Whitfield was the sea captain who rescued Nakahama Manjiro (John Manjiro) and raised him until he was old enough to return to Japan.  You may check John Manjiro out on  The Manjiro Story  where you can learn about the Manjiro Festival every other year. Speaking of Manjiro, during the research for my yet-to-be published novel, I interviewed one of Manjiro’s descendants who lives in Fukuoka. Since then, my wife and I have become friends with him and his wife.

To conclude, I can say that tracing my family tree has been a very satisfying experience. I have learned much about history, but, more importantly, several distant relatives have become close friends who have enriched our lives.

番外編:富士子ちゃんからサプライズ

12月8日(日曜日)。

ネールをやってもらっていたら突然ピコーンと富士子ちゃんからテキストが入った。

きゃーん、うれぴー。
富士子ちゃんだわ。

と思ったら、

「ひとタマ、今どこですか?
今日はお誕生日ですよね?
手作りドーナツ作ったので
これからお持ちいたしまーす」

とのこと。

えぇ〜❤

ホントォ?❤️

お料理もオヤツ作りもトップシェフ並の富士子ちゃん。

お誕生日にドーナツ焼いてくれたんだー。

ありがとう〜❤️

ということで、ネールをやってもらっていたモールの映画館のど真前でハザードつけて待ち合わせをしました。

来た来た〜。

きゃー、ジープに乗ってかっこいいなー。

ジャーン、嬉しい!嬉しすぎてラップのまま撮影〜 @Fujiko
はい。ラップを取りました!©Fujiko
と思ったけど車の中にくまちゃんいるからそれと一緒にもう一度、はい!©Fujiko

ちょっと渡すだけですからー❤️

というのが、多分30分以上も外で立ち話をしてしまいました。

富士子ちゃんとのお話はいつも盛り上がる。

でもちょっと寒かったね。

ドーナツはとってもおいしかったです。

ありがとう〜!!

Bonnie Shiley さんのこと

夫の定年退職を機に私達は2005年7月に40年余住み慣れたカリフォルニア州ロスアンジェルス市から南部のサウス・キャロライナ州グリーンビル市に引っ越して来た。

カルフォルニアと比べ不動産の購入価格は4分の一、消費税は6%(カリフォルニア10%)、医療費や各種保険の支払いも格段に安く、犯罪率も低く、大学が多いので文化的な行事の恩恵に与る機会も頻繁に有り、加えて森林が多い為空気が清浄と云う諸般の事情を考慮しこれからの年金暮らしで無理なく老後を過ごすために選んで移り住み14年が経った。

ここはアメリカのバイブルベルト地帯のそれもバックル(ベルトの留め金)と呼ばれる中心部分で、昔から南部バプテスト派の信者が多く且つ共和党の強固な地盤の土地で良く言えば敬虔なクリスチャンの人々が多く、古き良きアメリカが未だ健在である。

ドイツのBMWとフランスのミシュランタイヤのアメリカ本社と工場が在り、グリーンビル市は正にその城下町となっておりドイツ人やフランス人駐在員家族の数も多く、両方の国の現地校も開設されている。

超リベラルな環境のロスアンジェルスに長年住んだ身には正午のニュースが放送される直前に、毎日国歌がラジオから流れると云う事に驚いたものだ。

日曜日となれば教会の駐車場に停まっている車の数は半端ではなく、デパートも他の商業施設も礼拝に行く午前中は店を閉め(一部のレストランは日曜日は終日休業)、レストランでは日曜日に限りワインなどのアルコール飲料は一切提供されない。

この街に引っ越して来て以来ずっと私が毎週買い物に行く「パブリックス」と云う名前のスーパーマーケットが在り、ここで働く人達の年齢が一見して可成りの高齢と思える人から高校に通っている年齢の若者まで日本のそれと比べマチマチである事に驚いた。

長年このマーケットに通う間にその中でもレジに立っている一人の女性と親しく言葉を交わす様になった。 

彼女の名前はボニー・シーリーさん。1937年生まれで現在82歳。 

2005年からずっとこのスーパーマーケットでレジ係として働いており、8台並んだキャッシュレジスターの内の1台を彼女が担当している。

この店は1930年に創立され本社はフロリダ州のレークランド市に在り、主にアメリカ南部諸州(フロリダ、ジョージア、アラバマ、サウス・キャロライナ、ノース・キャロライナ、テネシー、バージニア)に1270の店舗を持ち、エプロンと云う名前の初心者向け料理教室をマーケット内で展開しており、誰にでも簡単に出来る料理をモットーにし、薬剤師が常駐する薬局が店舗内に在り、「グリーンワイズ」と云う名前の独自の農園を持ち、そこで無農薬の野菜や果物を育て、そこで収穫されたものを自社製品として、一般商品と共に販売している。

オンラインショッピングは各家の玄関先まで商品を無料配達し、車で取りに来る顧客には店の車寄せまで従業員が持って行くと云う徹底したサービスぶり。

又毎週水曜日は「シニアデイ」となり60歳以上は購入総額の5%を引いてくれる為水曜日は私を含め近隣のシニアの多くが買い物に来ている。

2019年1月現在で従業員19万3千人、フォーチュン誌の最も働きたい企業100社の中で12番目に載った大手スーパーマーケットチェーン。

ボニーさんはインデイアナ州出身。48歳の時に夫に先立たれ、当時中学生を頭に3人の息子達がいたが、North AmericanVan Line と云う全米を網羅する大手引っ越し業社の本社総務部で秘書をしながら女手一つで育てあげ、その子供達も孫達も今はそれぞれ結婚をし独立。孫は5名になり息子達も孫の一人も教育関係の仕事に就いている。

退職して一人で暮らし始めた頃、サウス・キャロライナに住む息子の一人が自宅の向こう側の家が売りに出ているけど、母さん引っ越して来ないかと誘ってくれたので長年住んだインデイアナの家を売却し、2005年にグリーンビル市の息子の家の向かい側の家を購入して引っ越して来た。

冬は極寒の地となるインデイアナと違って南部の比較的温暖な地、特にサウス・キャロライナは冬でも雪はあまり降らず年寄りには住みやすい所なので来て良かったとの事。

それと同時に現在のパブリックスに職を求めた所偶然空きがあったので直ぐにパート従業員として採用され現在に至っている。

働き始めた理由は何歳になっても活動的でありたいからと云う事で、現在の仕事に満足しているか尋ねたら「私の年で他にどんな仕事のオファーが来るって云うの? でも仕事が有るって有難いし政府から来る年金とここで得る給料のお陰で毎日の暮らしは何の憂いも無く、時には買い物を楽しんだり、息子達からは経済的にも肉体的にも完全に自立出来ているし、週一で向かいに住む息子家族全員を我が家に呼んで私の手料理でもてなして一緒に食事をしているのよ。家族のコミュニケーションは大切だからね。 

それに毎日の様に顔を合わせる同僚達は皆いい人達ばかりで14年間もずっと働き通すことが出来たのは有難いわ。医者も毎日規則的な暮らしをして外との接触を保つのは良い事だからこれからも続けなさいと言ってくれたわ。職業に貴賎は無くどんな仕事も自分が責任を持ってやれば自信が付くしお客も満足してくれるの」と。

彼女は1日4時間働く時と、7時間働く交互のスケジュールになっていて週5日働いているが、金曜日だけは全休とし、医者のアポイントメントや銀行その他の用事に充てる時間にしている。

そう云う彼女は今迄に2度も腰の手術をやっており7時間ずっと立ちっぱなしと云うのは辛い事だろうと思ったが、時には椅子に座ってレジ打ちも認められているし、お客と話したりすると気が紛れるから物は考えようよ、何事もプラス思考でずっとやって来たから大丈夫と微笑んだ。

趣味の編み物と私立高校で教えている息子の学校のバスケットボール観戦のチケットをボランテアで売るのを喜びとし、毎週変える彼女のマニキュアの色はお客の興味の有るところで、時には黄色だったりブルーだったり、交互に違う色使いをしたり彼女の手先を見ながら話が盛り上がる。

彼女はアメリカの古き良き時代の「おっかさん」的モデルであり、どんな苦しい時にも決して諦めず前向きにプラス思考で生きることを教えてくれた人である。

(49) アメリカンな冷やし中華!

あつーい!

と、叫びたくなる猛暑日が続く今日この頃。

まだ6月ですが、ノースカロライナ在住の皆さまには暑中お見舞い申し上げます。

なんたって、トロピカルなマイアミの方が涼しいし。。

となると、やっぱり冷やし中華の出番!

夏バテで食欲が落ちていても、冷たい麺類は食べやすいし、たくさんの具が上にのっているから栄養のバランスもそれほど偏らないような気がする。

ちなみに、一般的に私たちが想像する冷やし中華って、

  • 食欲をそそるさっぱりレモンだれ(またはゴマだれ)
  • ツルツルもちもちの冷たい麺
  • 錦糸卵にハム、シソ、キュウリ、翡翠ナス、紅生姜、トマト、ワカメ、など。

でも!

某日本料理店@NC西部の冷やし中華はかなりユニークですよ。

こちら↓

“じゃーん♪”

上から時計回りに、生の人参、中華海藻サラダ、ブロッコリー、もやし、キュウリ、揚げ豆腐、アボカド。

ね? ユニークでしょ?

一瞬「えー?!」と思うけれど、これって多分、アメリカ市場向けに大変身した冷やし中華なんですよ。たぶん(笑)

(手間がかかる)錦糸卵も、ハムもない。=合理的、かつベジタリアン食。

プロテインは揚げ豆腐で補い、アメリカ人には難易度が高いであろうと思われる生ワカメは、甘いタレが絡まっている中華海藻サラダにチェンジ。

ハムを使わないのは、菜食主義者のお客様は勿論、豚肉を食べないユダヤ教徒やイスラム教徒のお客様を意識してのこと。

 想像力をかきたてられながらすすった冷やし中華は、 異国に来た事を感じるお味でございました。ちなみに冨士子ちゃんは、やっぱり日本のオーソドックスな冷やし中華の方がいいなぁ。

日本の確定申告に思う

この原稿を書いている2019年3月現在日本では確定申告、アメリカではインカムタックスと呼ばれる税金申告の時期で「Death and Tax」の諺通り税金と云うのは絶対的なものでこれから逃れる事は不可能です。

施設に入居している93歳の母を見舞う為1ヶ月の滞在予定で日本へ行きその間1月に母の確定申告を税務署でやって国民の義務を果たしました。

昔取った杵柄、母は会計士と云う職業を50年近くもやっていましたので70歳でリタイアした後も88歳までは自分で申告書類を作り税務署に提出していましたがアルツハイマー型認知症になりその後は私が母に代わって毎年申告をする事になりました。

母にとっては国民年金と若い頃に掛けていた生命保険会社から入る年金が総収入ですが、こんな僅かな収入でも税金徴収の対象となり毎年数万円を納付しています。 

若い頃は戦争で青春を謳歌する機会も無く、戦地から戻った父と20歳で結婚し21歳で私を産み、父が戦後の混乱期に生きんが為に会社の物資を横流しした事が発覚し親はそんな奴は家の恥になると強制的に娘を離婚させ、その後母は再婚もせずに働き続け私を育て70歳までフルタイムで働き通してやっと安住の糧として得た年金ですがそれさえも課税対象となり納得が行かないと係の方に尋ねましたら「この方の場合は離婚ですね、しかも男並みの収入を得ておられたから寡婦控除には該当しません」との返事に唖然とし「それは本人が努力し、生涯必死で働いたからこそ得られた収入じゃないですか」と私は余りの理不尽さに怒りの持って行き場がありませんでした。

1959年(昭和34年)に国民年金制度が制定されましたが、これとは別に戦後の戦争未亡人の大量発生に焦点が当てられ1929年(昭和4年)に制定されていた救護法をその後昭和20年に寡婦福祉法に改正したもので、夫が戦死した場合寡婦となった女性を保護する意味で作られた法律が戦後70年を過ぎて尚厳然と生きている事実を突き付けられました。

世の中には夫のDV(家庭内暴力)に生命の危機を感じて離婚した女性も居ます。しかし彼女達には寡婦控除は適用されす、離婚したのは辛抱が足りなかったとどこまで女を馬鹿にした話かと怒りが湧いてきます。

所得税法第81条及び同法85条でこの法律は今日でも通用しており合計所得金額が500万円以下の場合は27万円の所得控除が認められていますが離婚し自立して働いた女はその恩恵に浴する事は出来ないばかりか年金収入さえ課税対象となるのです。

アメリカも今は確定申告の時期で私もターボタックスと云うソフトを買って自分で申告をやっていますが、結婚をしているかしていないかを問う欄は有っても配偶者と死別か離婚かを問う箇所は一つも有りませんし、それによって税金が違って来る事は有りません。

「女性が輝ける社会を」と国のリーダー達は機会ある毎に言っていますがそれならそれなりの備えを十分にして対策をするべきではないでしょうか。 母の様に今迄やって来た苦労が認められない社会は平成の次の時代には無くなって欲しいものです。

(46): 乾杯! チアワイン

あっという間に年の瀬、そして大晦日。

サンクスギビングを迎えてからは何かと慌ただしくなるのが常で、気がつけばクリスマスも過ぎ、ニューイヤーは目前に。

富士子ちゃんも、お仕事にバケーションに年末の大掃除に…と、とっても忙しい毎日!なのですが…

2017年といえば、やはり最後にこの記事を出さずにはいられない。

皆さんはご存知ですか?

その名も、

チアワイン。

かなりマイナーな、アメリカはノースカロライナ発のソーダの名前です^^

ちなみに、ワインとは言ってもれっきとしたソフトドリンク&ソーダですので、アルコールは全く含まれていません。

ワイルドチェリー味で炭酸きつめ、この不思議なお味が愛されて、なんと今年で100周年!

(c) Fujiko
©Fujiko

おめでとう、チアワイン100周年! ちなみにずっと家族経営。

ソーダは滅多に飲まない富士子ちゃんですが、田舎町のカフェでぷらっとランチする時なんかは、何となくチアワインを頼んじゃう。観光客気分でね^^

(c) Fujiko
©Fujiko

富士子ちゃんのオーダーしたハンバーガーは、ノースカロライナならではのご当地名物コールスロー入りバーガー。

(c) Fujiko
©Fujiko

ペプシも実はノースカロライナ発祥。こちらは結構有名なトリビアかな?

ノースカロライナは良いところ。

ラーレー、ダーラム、チャペルヒルのトライアングル地区は、ある意味ガラパゴス化してるんじゃないかな?と思ったり。

トライアングル地区といえば、米国南部に位置するノースカロライナ州にありながら、国際色豊かで、外国人にも、ある程度不自由のない便利な町々。もちろん富士子ちゃんもその恩恵を享受している一人ではあるけれど。

そんなノースカロライナ州の面白いところは、トライアングル地区からちょっとだけ車を走らせれば、時間が止まったような…というか、タイムスリップしたような昔ながらの変わらぬ田舎町が点在しているところ。

日本だったら、昭和のまま時間が止まった様な町や村。そんな感じ。

人もとっても優しい。

優しくされるから、他の人にも優しくしたくなる。

そういう正の連鎖がある地域なんだろうなぁ…と実感できた年の瀬でした。

さて、今年も拙文をお読みいただきありがとうございました!

2018年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆さまも良いお正月をお迎えください^^

(45): 石焼き芋~ 焼き芋!

秋が深まり、落ち葉が積もり、朝晩が冷え込んでくると聞こえてくる、あの軽快な売り声…

この季節になると、石焼き芋の軽トラック屋台が、香ばしい香りをぷんぷんさせながら町から町へと巡回していたのを思い出します。

遠くに聞こえたら、ちょっと上着を羽織って、お財布を手にして外に駆け出して。

冷たい夜の空気にあたりながらトラックに手を振って… あぁ、懐かしい。

ここノースカロライナでも、四季を感じることが出来るのは幸せなこと。

Whole Foodsでは、サツマイモも出始めましたね!

アマゾン効果? 価格が全体的にお安くなった様な。お財布に優しい^^ (c) Fujiko

アルミホイルに丸ごと包んで、低温のオーブンでじっくり焼いても美味しくできるけど、やっぱりあの軽トラのおじさんの石焼き芋が懐かしく感じるなぁ。

週末、お外でやってみようかな。

深まる秋に、乾杯( ´∀`)

私が外国人と結婚した理由

16年に亘る結婚生活に終止符を打ちアルコール依存症の日本人の夫による家庭内暴力から逃れる様に高校進学を控えた娘と小学校高学年の2人の子供を連れ身の回りの物だけを持って家を出たのは私が30の中ばだった。

当然夫からの経済的なサポートは一切無く、当時私はロスアンジェルスに在る某日系商社で働いておりそこから得る収入だけでアパートの家賃を払い子供と私の3人が食べて行くのは難しく会社には内緒で仕事が終わると向かいのビルの中に在るホテルの土産物屋でパートとして働き、週末は新聞広告の求人欄で見付けた掃除婦として働き現金収入を得て何とか暮らしを続けていたが薄氷を履む様な日々だった。

その様な暮らしが1年程続いた年末に私は悪性の風邪に罹りとうとうダウンした。幸いな事にクリスマス休暇と新年の休暇の時期で仕事を休み穴を開けると云う事だけは避ける事が出来たがベッドに仰臥し天井を見つめ将来子供達に大学教育を受けさせ世の中に出す事を考えると心細さが募った。

無理が祟って寝込んだ時にこのままの生活を続けて行く事は自殺行為と身に染みて感じ、崖っぷちに立たされた私は何とか食べる事だけでも出費を減らせないかと考えた挙句に思い付いたのはデートをする事だった。

其れ迄子供を育てる為にがむしゃらに働き家と職場を往復するだけだった私は未だ30代後半とは言え心身は疲弊し子連れ無理心中予備軍に属して居た

鏡に写った自分自身をしげしげと観察し「市場価格」も未だそう悪くはないと計算した私は友人達から紹介された男性とデートを始めた。 

計算通り彼等は先ず食事に誘うので最初の頃は良く中華料理店を選び

「私アレも食べたいわ、コレも頂きたいわ」

と多めに注文すると殆どの男性は女の前では太っ腹な所を見せ鷹揚に

「いいよ、いいよ食べなさい」

と勧めて呉れる。

しかし私の計算は当然食べきれずに残ったものは全て持ち帰り家で待っている食べ盛りの子供達の食料とする訳で、しかも同じ男性とのデートは2回までが鉄則。何故なら男は2回目のデートまでは紳士で通すが3度目からは「侍れ」と暗黙の了解の如く振る舞い、4回目のデートでは

「ベッドルームへ行こう」

となる。

そう云う事が数年続き私は百戦錬磨の強かな女になりつつあったが、丁度その頃給料の見直しに伴い今で言う所の「働き方改革」が本社から指示され私の給料も随分と上がって暮らし向きは少し楽になり3つの仕事を掛け持ちでやる必要も無くなった。

私が働いて居た会社のロスアンジェルスに在る関連会社の社員から9年前に妻を亡くした男性を紹介された。

その頃娘は州外の大学に入ったばかりで家は息子と私の二人暮らしとなり、もう結婚など真っ平ご免と心底思っていた私は不遜にも相手の意向など全くお構い無しにこの男性と会う時は当然の様に息子連れで1週間分の洗濯物を抱えて出向き彼の家に有る洗濯機やドライヤーを無料で使わせて貰いハイ左様ならと帰っていたが、ここに大きな落とし穴が有って長年男の愛情に飢えて居た息子は直ぐにこの男性に懐いてしまった。

外堀を埋められた様な状況になりこの男性から結婚を申し込まれた時は嬉しいなどと云う感情は無く

「なんで私が貴方と結婚しなければならないの」

と云う意味不明の怒りであったが、今振り返って思えば最初の結婚で辛酸を嘗めた私は男性に対する憎しみと不信感の固まりになって居た。

この事を日本に居る母に電話で報告した時に母は

「まあ、よかった!直ぐに結婚しなさい」

と言った。 

「でも相手はアメリカ人よ、会った事も無いしどんな人だかお母さん知らないでしょう」

と反論する私に

「アメリカ人でも何人でも結構。今はそうやって男性が食事に誘ってくれるけど後10年経ってごらんなさい、誰も貴女を誘ってはくれないのよ。第一貴女の身に何かあったらこれから一体誰が二人の子供達を育てて呉れるの」

と畳み掛けて来た。

相手に対して愛情など全く無いと言う私に更に母は

「愛情なんか無くてもいいの。上手く行かなかった時は子供達を大学に出して貰ったと感謝して別れればいいの」

と爆弾宣言をした。

渡りに船とばかりに計算ずくで結婚した私だったが夫の両親や義兄は私達親子を暖かく迎え入れ、孫が出来たと喜び可愛がってくれた。日々の暮らしの中で温かな家族に囲まれ私の心も次第に穏やかさを取り戻し人間としてのあるべき姿へと変わって行った。

結婚に踏み切った時に私の預金残高は千ドルのみで翌月の家賃を払えば殆ど残らない状態だった。追い詰められた挙句に日本人の夫と別れ、養育費も慰謝料も無い中でその後8年間を子供と共に必死で生き、アメリカ人と結婚し共に暮らす日々は22年となりあの時母が背中を強く押してくれなかったら今の私はなかったと母に感謝し、無条件で私達親子を受け入れてくれたアメリカ人の懐の大きさと夫や今は他界した夫の家族に心から感謝している。

ダーラムアカデミー@ダーラム

ダーラムはパブリックスクールがイマイチ評判が悪いのですが、トライアングルエリア全体の中でも評判のいいプライヴェートスクールのダーラムアカデミーという学校があります。

初めて訪問しましたが、ほんとゴージャス。

特にスポーツにも力を入れているようで、テニスコートやジム、その他もろもろのフィールドは金持ちエリアにあるプライヴェートカントリークラブか?という感じでした。w

しかし、ジムにはシャワーもついているようで(当たり前か?)かなり充実した施設が整っているようです。

どこかの子どもたちのように(←うちの子たち)、部活の後、汗だくでむさくるしく帰って来るのとはやはり違いますね。

(47): ベジタリアン&ビーガン食レストラン @ Living Kitchen

どうもどうも、ごぶさたです。

今年の春も、ノースカロライナらしかったですね。

桜が満開になったと思ったら雪が降り、
夏のような陽気になったかと思ったらまた氷点下、
はたまた大雨で洪水警報が出たり…と。

ようやくここ数日で気温が落ち着きつつあるかな?という感じ。

ノースカロライナ特有、灼熱の暑い夏が苦手なので、夏到来前の今が過ごしやすくてちょうど良いかも?ですね。

さて、トライアングルエリアのB級グルメ探検をテーマにスタートしたこのコラムですが、今日はちょっと洗練された感じのレストランへ行ってみましょうか。

シャーロットを始め、ラーレー、チャペルヒルに店舗を展開しているベジタリアン&ビーガン食レストラン「Living Kitchen」。

お店で提供する料理、デザートの食材はすべてオーガニック、また、動物性食材は一切不使用とのこと。

卵や乳製品も口にしない完全菜食主義者(ビーガン)も、安心して食事ができるというお店なんですね。

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こちらはチャペルヒル店。Whole Foodsのすぐ側にできたコンドの一階。
天井が高くて日光が降り注ぐ明るい店内。 (c) Fujiko

ちなみに、炭水化物の使用も極力抑えているのが特徴で。

例えば、

お米を使う料理には、砕いたカリフラワーやサツマイモ、キヌア、チアシードを代用したり、

サンドイッチのパンの部分には、グルテンフリーのサワードウや、カラードグリーンの葉っぱ(!)、ピザの生地は蕎麦粉etc、タイ風焼きそばのパッタイの麺は、ズッキーニとサツマイモをくるくる細長く麺状にしたもの、などなど。

デザートやラテも、勿論卵や牛乳を使わず、ヘンプミルク、ココナツミルク、アーモンドミルク、カシューナッツクリームなどで代用する徹底ぶり。

軽めのランチということで、富士子ちゃんは気になるお寿司を注文。

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オレンジ色サツマイモをおそらくフードプロセッサーにかけたものがお米代わり。
生なので、ぼそぼそした食感。具はアボカド、赤ピーマン、きゅうり、ルッコラの葉。
甘いソースが付いてきます。ちなみにお値段$9.5。 (c) Fujiko

食後は、抹茶ラテとタートルケーキ。

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ほっと一息。。抹茶風味の優しいお味です。 (c) Fujiko

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これ全部、植物性の材料で出来ているというのが面白いな。しっとりとして甘すぎず、
ペースト状になったナッツとチョコレートの風味が味わえて美味しい。こちらも$9.5。 (c) Fujiko

ということで、ランチに上記の3品でチップを入れ、お代は軽く30ドル以上しました。ちょっと高いね。

まぁ、コンセプトがはっきりしていて良い食材を使っているから、このお値段でも妥当なのかな?

意識高い系のチャペルヒリアンには受けているようで、いつ通りがかっても割とお客さんが入ってます。

総評: ザ・トライアングルエリアだからこそ経営が成り立つレストラン。

健康志向、ビーガン食に興味がある方はぜひ。

Living Kitchen

201 South Elliott Rd
Chapel Hill NC 27514

555 Fayetteville St
Raleigh NC 27601

2000 South Blvd
Charlotte NC 28203

4521 Sharon Rd
Charlotte NC 28211